水俣は遥かになりて・11

hamkichi

2009年06月09日 12:12

1960年には、水俣漁協とチッソの漁業補償が話し合われた。

「補償金じゃ食っていけん。金より仕事だ」と、漁協幹部に就労の場の確保を訴える者もいたが、漁協は結局、補償金で手を打った。
手にした補償金は、その場しのぎの生活費にしかならなかった。

ガンとして「補償よりチッソへの就労」求めた者は、方針に反したとして漁協を除名された。しかし、チッソに職を得ることができた。
「チッソで働きたいというのは、確かに矛盾した気持ちかもしれない。でも仕事がほしかった」と当人は語ります。


山ん人vs海ん人



山ん人は山村の人たち。海ん人は漁村の人たち。同じ水俣であっても海ん人には補償金が支払われ、山ん人には支払われることはありません。
そういうことから、やがて町は分断していきます。
もちろん、そのことに行政が立ち入ることもありません。

水俣病のおかげで、地域社会もバラバラに分断されていったのです!

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