2009年02月12日

大西暢夫さん「水になった村」

「水になった村」という映画は、15年間の記録を撮った映画で、北海道から九州までのダムの現場と、その映画の舞台になった岐阜県の徳山村という村の話と大きな二大柱です。

私はこのような写真集や映画などは、そのときだけ短期間に集中的に撮って、それで終わっているものだと思っていました。
大西暢夫さんは、作品が完成したあともそこへ行ってそこの人たちと交流を続けているそうですface01


『僕は、人を常に撮るカメラマンです』という大西さんですface02

大西さん談話:
徳山村は、日本最大のダムで沈んだ村です。
つい最近、沈みました。
そこに1,500人の人が暮らしていたんですけど、長野県の諏訪湖とほぼ同じぐらいの面積を誇るダムに沈んで、全村水没をしました。

そこに僕は15年前から通っているんですけれども、そこで暮らしている人がやっぱりそこから出て行くということ、長年暮らしてきたところを離れるということは人間にとって本当に痛切なことだと思うんです。
この人たちも80年、90年とここの土地で暮らしてきて、いままで沢を登って何かを採りにいって、畑を耕して、春夏秋冬をしのいでという暮らしが当たり前のリズムであったのに、それがあるとき閉ざされてしまうんですけども、そうなった時の人間の変わり方というのをどうしても僕は見届けたかったんです。

ここのお年寄りたちは、僕に沢山の食べ物を出してくれるんです。もう本当に腹一杯食べさせてくれるんです。
92歳になったおばあちゃんが、少し認知症になりかかったか、なったかわからないんですが、少しそういう傾向を感じられて、家の取り壊しがあったときに、ボロボロと泣いていたのに、だけど、そのことを一切忘れてしまうというシーンが映画の中のがあるんです。

そして、町で暮らすようになったら、訪ねて行った僕に何にも食べせるものがなくて、最後には自分の指輪を外して僕に渡そうとしました。
僕は断りましたけども、僕に対して最後の最後もお腹一杯になって帰ってくれというこというでした。

このお年寄りたちの前の土地に対しての根強さというものをひしひしと感じて、本当はこの村で死ぬべきだったと思う人たちがそういうことができなくて、町の中で亡くなっていくという現実があります。

映画・水になった村


ダムを造る、造らないという議論というのはよく報道の中で流れるんですけども、僕はそことはちょっと違っていて、こういう時代というか、やっぱり僕のような若い人間が、ひとつの村がダムに沈んでしまうまでのエネルギーを求めてしまった僕らの生活が異常だということを感じて、ダムを造るというよりも自分の暮らしの足元をこうみたときに、僕たちが全部こういうものを造らせてしまっているんだなと思ったんですね。


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Posted by hamkichi at 14:29│Comments(0)徒然なる
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