2009年05月01日

水俣は遥かになりて・1

水俣病(みなまたびょう)は、チッソが海に流した廃液により引き起こした公害病。

53年前の5月1日に公式確認されました。


1906年-チッソの前身・曽木電気、鹿児島に設立
1908年-日本窒素肥料となり、水俣市で創業
1956年-水俣病公式確認
1973年-1次訴訟の熊本地裁判決で患者勝訴、チッソの責任確定
1995年-政治決着を閣議決定
2004年-関西訴訟最高裁判決で国、熊本県の責任確定
2007年-与党PTが救済案を提示
2009年-与野党がそれぞれ救済法案提出


水俣病は53年前の5月1日に突然始まったわけではない。
被害はその以前から広がっていた・・・。

水俣病「語り部」である杉本 雄(すぎもと たけし)さんは、自分が小学生のときの各クラスに、2、3人運動のできない生徒や知能が低い生徒がいて、いま思えば水俣病で神経を侵されていたのだと語ります。


水俣の主産業は、江戸時代から製塩だった。
やがて、その産業は衰退し、干上がった塩田・・・。余った労働力・・・。

そこにやって来たのがチッソの前身「日本窒素肥料株式会社」だった。
当初評判は芳しくなく、「1日1人ずつ死ぬという評判だった」といわれるほどだった。
この未知への工場と労働者にも恐れと侮蔑の目を向けていた。

工場


しかし、最先端の技術で肥料を作り、食料増産の国家事業に寄与するようになると、憧れと羨望へと変わっていく。
しかも「日本窒素肥料株式会社」は、自社で発電した電気を村民にも配電した。
水俣は九州で初めて電気の灯った、最先端の村だと言われる。

そして、水俣は「チッソの城下町」となっていく。


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Posted by hamkichi at 12:12│Comments(2)水俣病
この記事へのコメント
なるほどね~、こうやって巻き込まれていくのね。

生活クラブの活動の一つに、水俣の「きばる」という夏みかんを消費材として使っています。

>水俣病「語り部」である杉本 雄(すぎもと たけし)さんは、自分が小学生のときの各クラスに、2、3人運動のできない生徒や知能が低い生徒がいて、いま思えば水俣病で神経を侵されていたのだと語ります。

怖いですね。藤沢市の市民が反対をしている製薬会社の行く末を想像してしまいました。

小さい力でも、おかしいと思うことが大事なんですね。
Posted by 祭っ子 at 2009年05月03日 00:00
祭っ子 サマ

昔、家人も生活クラブで水俣の「みかん」を取っていたそうですヨ。

「語り部」である杉本さんは、「水俣病は食べ物が原因で発症した病気だから、健康に配慮した食べ物を作る」をモットーに、家族で無添加のいりこと無農薬の野菜・果物を作っているとのことです。
Posted by hamkichi at 2009年05月03日 14:46
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